昨年10月からこちらボストンでの生活を通じて、アメリカの歴史に触れる機会があり、個人的に歴史に対する関心が高まってきました。今年は歴史を研究テーマとして、まずはアメリカの歴史や文化を学び、こちらのブログにも投稿して行きたいと思います。
最初のアメリカ人は今から1万数千年前の氷期にアジア大陸から「新大陸」アメリカ大陸に到達した先住民でした。アメリカ大陸を発見したのは、この先住民であり、1492年のコロンブス一行ではありませんでした。この先住民がメソアメリカ文明とアンデス文明の二大文明を独自に築きました。しかしながら、16世紀にヨーロッパ人が侵略した際に、その土地をインディアス(アジアの総称)と誤解し、インディオ(英語でインディアン)と名付けました。この先住民はとうもろこし、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、カボチャ、唐辛子など、100種類以上の植物を紀元前8000頃から栽培していました。アメリカ大陸原産の栽培植物は世界の栽培種の6割を占めており、アメリカ大陸原産の植物が世界の歴史を変えたと言えるかもしれません。
メソアメリカ文明
メソアメリカは、メキシコ北部から中央アメリカ北部にかけての熱帯亜熱帯地域で、中小河川、湖沼、湧水などを利用した灌漑農業、段々畑、家庭菜園などの多様な集約農業と焼畑農業を組み合わせた非大河灌漑文明でした。メソアメリカは大河流域で大規模な灌漑農業を行っていたメソポタミア文明やエジプト文明とは異なっていたようです。このメソアメリカは政治的に統一されず、地方色豊かな諸文明が共存していました。メキシコ湾岸低地南部の熱帯雨林ではオルメカ文明、ユカタン半島を中心としたマヤ低地とマヤ高地ではマヤ文明(紀元前1000頃から16世紀)が繁栄しました。メキシコ南部高地のオアハカ盆地では山上の都市モンテ=アルバンを中心にサポテカ文明(前500〜後750)が繁栄しました。さらに、メキシコ中央高原では、大都市テオティワカンを中心にテオティワカン文明(前100〜後600)が栄えました。
アンデス文明
中央アンデス地帯は南米ペルーとボリビアの一部を含み、砂漠の海岸地帯、雪を冠する6000m級の高山が連なる山岳地帯、アマゾン川の源流部の熱帯雨林地帯からなっています。アンデス文明が展開したのは海岸地帯と山岳地帯でした。アンデスの海岸地帯では複数の川を用いて大規模な灌漑農業が行われました。前3000年頃から神殿が建築され始めたが、紀元前後には、ペルー北海岸ではのちに王国に発展したモチェ社会、ペルー南海岸では地上絵で有名なナスカ社会、ボリビアの高原地帯ではティワナク社会が成立した。チムー王国は12世紀頃からペルー北海岸を支配した。15世紀になると、南高地のクスコ地方のインカが台頭し、チムー王国を滅した。インカは領土を拡大し、中央アジアだけでなく、コロンビア南部からチリ中部まで南北約4000kmに達する大帝国となりました。